「The Modelをそのままコピーしたのに、営業数字が伸びない」――SaaS事業を立ち上げた営業責任者から、最近最もよく聞く相談だ。富士キメラ総研の調査では、SaaSの国内市場は2026年度に2兆4,607億円規模に達する見込み※1。市場が伸びているのに、自社の営業プロセスは伸びない。原因は「分業の不徹底」ではなく、「分業の過剰適用」にある場合が、思ったより多い。本記事はその分岐点を、実名ツールと失敗事例をまじえて分解する。
この記事の要点
- The Modelは「ARR 10億円・組織50名以上」のフェーズで初めて真価を発揮する。それ以前にコピーすると逆効果。
- 失敗の典型は「リード数KPIが先行→受注効率が落ちる→FSが疲弊→離職」の負のスパイラル。
- 事業フェーズ別に「PMF前」「PMF後拡大期」「マルチプロダクト期」で営業プロセスの最適形は変わる。
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SaaSの「The Model」は万能ではない――2024年以降の再評価
The Modelは2019年の福田康隆氏の書籍以降、日本のSaaS業界でデファクトスタンダードになった。マーケティング → インサイドセールス(IS) → フィールドセールス(FS) → カスタマーサクセス(CS)の4段階分業モデル※2。だが2024年以降、パーソル総合研究所などが「The Modelだけではうまくいかない」と公に問題提起するようになった※2。
論点はシンプルだ。各部門のKPIが「自分の数字」しか見ていない場合、マーケが「リード数」を最大化する → 質の悪いリードでISの工数を浪費 → ISが「アポ件数」を最大化する → 商談化しない案件でFSが疲弊する → FSが「受注数」を最大化する → オンボーディングできない契約をCSが背負う、という負のスパイラルが起きる。
これは分業の悪さではなく、分業を支える「バトンパスの設計」が抜けている結果だ。The Modelは「組織が複雑化したから分業する」のであって、「分業すれば組織が育つ」訳ではない。順序を逆にした事業者ほど、想定通りに数字が出ない。
事業フェーズで変わる、最適なSaaS営業プロセス
SaaS事業の段階を3つに分ける。それぞれで「やるべき営業プロセス」は別物だ。
PMF前(ARR 1億円未満):分業しない
このフェーズで最も重要なのは、創業者または営業責任者が「商品の何が刺さって、何が刺さらないか」を肌で掴むこと。マーケのリード生成、ISの初回ヒアリング、FSの提案、CSのオンボーディングを全部1人でやる。分業すると、顧客の生の声が「マーケ視点・IS視点・FS視点」に分解されて、本質的なPMF信号が薄まる。SmartHRもfreeeも、創業初期は社長が全営業をやっていた。
PMF後拡大期(ARR 1〜10億円):軽量分業
商品が刺さるパターンが見えたら、ISとFSの2段だけ分ける。マーケ専任は不要、CSはFS兼任で十分。このフェーズで4段分業を入れると、組織のオーバーヘッドが受注スピードを殺す。1案件あたりの「初回接触から契約まで」のリードタイムが、競合より2割長いだけで、受注率は半減する。
マルチプロダクト期(ARR 10億円以上):The Model本格運用
商品が複数になり、ターゲット業種が広がり、組織が50名を超えると、専門化のリターンが分業コストを上回る。ここで初めてThe Modelの本格運用に入るのが正しい順序だ。逆順にやると、必ず数字が出ない。
もう一段細かく見ると、このフェーズではIS内部・FS内部のさらなる分業も発生する。ISなら「アウトバウンド専任」「インバウンド専任」「特定業種専任」、FSなら「中堅・中小担当」「エンタープライズ担当」「既存アップセル担当」のように、KPIと顧客特性に応じて細分化する。Salesforceや国内大手SaaSの組織図を見ると、営業組織だけで10〜15のチームに分かれているのが珍しくない。
ただし、この細分化を入れた瞬間、「縦割りの病」が必ず発生する。それを抑える仕組みが、四半期に一度の「営業横断レビュー」と「リード品質スコアの全社共有」だ。横断レビューがない事業者ほど、各チームが自分のKPIだけ追って全社の最大化からズレていく。The Model本格運用は、分業の精緻化と同時に、横の連携を制度化する作業だと理解しておきたい。
失敗事例:30名のSaaSスタートアップが「The Model」で売上が落ちた話
あるバーティカルSaaS(社員30名、ARR 3億円規模)の実例。創業3年目、外部の営業コンサルから「The Modelを導入すべき」と言われ、半年かけて4部門に分業した。マーケ2名、IS3名、FS5名、CS2名の体制。結果はどうなったか。
分業前:MRR月次成長率10%、新規受注15件/月、平均商談期間45日。
分業後(6ヶ月後):MRR月次成長率3%、新規受注9件/月、平均商談期間78日。
原因は3つあった。第一に、ISが「BANT条件を満たすリードのみFSに渡す」運用にしたら、ISからFSへのバトンパスが激減し、FSの稼働が空いた。第二に、FSが「ISから渡されたリード以外は受け持てない」と固定化し、過去顧客からのリピート開拓が止まった。第三に、CSが「契約後3ヶ月は専任CSが対応」のルールを入れたら、FSが契約を取った後の関係性が分断され、アップセル機会を逃した。
分業の各部門が「自分のKPI」だけを見て最適化した結果、全体としては前より売れない組織になった。同社はその後、ISとCSを再統合し、FSの担当範囲を契約後6ヶ月まで延長することで、半年後に元の数字に戻った。
同社の営業責任者が後日語った教訓は3点だ。第一に、「The Modelの導入は、組織がそれを必要とするくらいに複雑になってからでよい」。30名規模で4部門に分けるのは、明らかに早すぎた。第二に、「KPIは部門単位で持たせるが、評価は全社単位で持たせる」。部門KPIだけで評価すると、必ず縦割りになる。第三に、「コンサルや書籍の事例は、自社のフェーズと組織サイズが合致するもののみ参考にする」。Salesforce本社の組織図を社員30人のSaaSに適用するのは、最初から無理がある。
この教訓は、SaaS業界では「The Model症候群」とも呼ばれる現象の典型例だ。書籍の事例が一人歩きし、自社の状態を冷静に見ずに導入を急ぐ。導入後3ヶ月は混乱、半年で「効果が出ない」と言われ、1年で元に戻すか、そのまま潰れるかの分岐点になる。分業は組織の発達段階に合わせるものであって、書籍に合わせるものではない。
SaaS営業の主要KPI――フェーズ別の見るべき指標
営業プロセスを設計するには、フェーズ別のKPIを正しく持つことが先決だ。よく使われる主要KPIを整理する。
| フェーズ | 最重要KPI | 補助KPI | 見てはいけないKPI |
|---|---|---|---|
| PMF前 | 継続率(NRR)、有料転換率 | 問い合わせ件数、商談数 | MAU、リード単価、CAC |
| PMF後拡大期 | CAC、LTV、CAC回収月数 | 商談化率、受注率、ARPU | 部門別の活動量 |
| マルチプロダクト期 | 部門別の生産性、NRR、Magic Number | 部門間移管率、商品別ARPU | トップラインだけ |
とくに「見てはいけないKPI」が重要だ。PMF前にCACを追っても意味がない(マーケ予算が小さすぎて統計的に有意でない)。PMF後拡大期に「IS部門のアポ件数」を追うと、商談化しないアポが量産される。マルチプロダクト期にトップラインだけ見ると、利益のないプロダクトに営業が貼り付いて全社利益が落ちる。
もう一つの注意点は、KPIの「測定頻度」だ。PMF前は週次で見て商品の方向修正に使う。PMF後拡大期は月次で見て営業組織の課題発見に使う。マルチプロダクト期は四半期で見て部門の人員再配置に使う。頻度が合っていないKPIは、データが取れていてもアクションにつながらない。週次レビューで「NRR」を見ても、ノイズが大きすぎてシグナルが拾えない。逆に、四半期に一度しか「商談化率」を見ない事業者は、3ヶ月の機会損失が積み上がってから問題に気づく。
SaaS営業プロセスを支える実名ツール比較
営業プロセスを回すツールは、フェーズと組織規模で選ぶべきものが変わる。実名で比較する。
| 用途 | PMF前向け | 拡大期向け | マルチプロダクト期向け |
|---|---|---|---|
| CRM | HubSpot Free、Notion | HubSpot、Pipedrive | Salesforce |
| リスト・送信 | IZANAMI | IZANAMI、Sales Marker | Sales Marker、6sense |
| 商談記録・要約 | 手動メモ | amptalk、ailead | Gong、ailead |
| 提案書AI生成 | 手動 | IZANAGI | IZANAGI、Notion AI |
共通する原則は「フェーズ不相応な高機能ツールを入れると、運用コストで死ぬ」。SalesforceをPMF前に入れて、運用設計に半年かけて、その間に競合に追い抜かれた事例は枚挙にいとまがない。逆に、マルチプロダクト期にHubSpotだけで頑張ると、商品横断の分析ができずに意思決定の質が落ちる。「どのフェーズから引っ越すべきか」の見極めが、SaaSの営業責任者にとって最も難易度の高い判断になる。
PMF後拡大期の「商談スピード」を上げるなら
IZANAGIはAIが提案書・営業メールを自動生成するツール。FSの「提案準備時間」を半分以下にすることで、商談スピードを優先したい拡大期SaaSに向いている。
SaaS営業プロセス設計の3原則――現場に効く実装指針
3つの原則に絞り込む。
第一原則:分業はリターンが分業コストを上回ったときだけ入れる。指標としては、組織が30名を超えるか、商品が3つ以上になるかのどちらか。それまでは「営業1名が全工程を見る」が最強だ。第二原則:KPIは「全体最適」と「部門最適」を必ずペアで持つ。たとえばISのアポ件数(部門最適)と、ISが渡したアポからの受注率(全体最適)。両方を月次でレビューし、片方が悪化したら即座に運用を見直す。
第三原則:バトンパスのルールは「文書化+責任者の明示」をセットで。ISからFSに渡す条件は何か、FSからCSに渡す条件は何か、CSがアップセル発見時にFSに戻す条件は何か。これを明文化していない事業者は、必ず部門間の押し付け合いに陥る。ルールが書かれていない分業は、分業ではなく単なる責任分散になる。
3原則を実装するうえで、現場にすぐ効くテクニックを2つ補足する。1つ目は「週次の数字レビューに必ず複数部門のリーダーを同席させる」。マーケのリード品質はISが見ないと分からないし、ISのアポ品質はFSが見ないと分からない。同席させるだけで、無自覚な縦割りが大きく減る。2つ目は「四半期に一度、部門間ジョブローテーション」。FS担当者を1日ISに、IS担当者を1日CSに配置するだけで、相手部門の課題が肌で分かる。これだけで部門間の協力関係は劇的に改善する。
失敗を避けるためのチェックリスト
SaaS営業プロセスを新しく設計する/見直すときのチェック項目を10個に絞る。これを最後に置いて、週次のスプリントレビューで使ってほしい。
(1)現在のARRはいくらか/(2)組織サイズは何名か/(3)商品数はいくつか/(4)分業の段数は適正か/(5)各部門のKPIは「全体最適と部門最適」のペアになっているか/(6)バトンパスのルールは文書化されているか/(7)バトンパスがうまくいかない場合の責任者は決まっているか/(8)月次レビューで「部門間移管率」を見ているか/(9)商談期間はフェーズの目標に対して長すぎないか/(10)CS・FSの「アップセル発見ルール」はあるか。
このうち5つ以上が「いいえ」なら、いまの営業プロセスは数字を出していないはずだ。逆に、8つ以上「はい」になっている事業者は、競合より明らかに先に行ける。
FAQ
Q1. The Modelを入れるべきタイミングの目安は?
組織が50名を超えるか、ARR 10億円を超えるかのどちらかが目安。それ以前に4段分業を入れると、商談スピードが落ちて受注率が下がる。先にIS+FSの2段からスタートし、必要に応じてマーケとCSを切り出すのが安全な順序だ。
Q2. ISとFSの分業比率はどのくらいが適切?
商品の単価とサイクルで変わる。月額10万円以下のロングテールSaaSなら IS:FS=2:1〜3:1、月額50万円以上のエンタープライズSaaSなら IS:FS=1:2〜1:3が目安。重要なのは「商談化率と受注率の積」を最大化する比率を月次で見つけること。固定するべきではない。
Q3. CSをFSと統合してよいか?
PMF後拡大期までは統合してよい。マルチプロダクト期に入って商品が3つを超えたら、CSの専門性が必要になるので分離する。逆に、PMF前にCSを切り出すと、商品改善の信号が遅延して、PMFそのものが見つけにくくなる。
Q4. SaaS営業のKPIで最も重要な1つは?
事業フェーズで答えは変わる。PMF前は「有料転換率と継続率」、拡大期は「CAC回収月数」、マルチプロダクト期は「NRR(Net Revenue Retention)」。1つに絞れと言われたら、フェーズ問わず効くのは「NRR」。NRRが100%を切っているSaaSは、上に積み上げるバケツに穴が開いている状態だ。
Q5. 営業プロセスにAIをどう組み込むのが効果的?
「商談前の提案書ドラフト作成」「商談中の文字起こし」「商談後の要約とCRM入力」の3点が効果的。とくに3点目は、FS1人あたり週5〜8時間の入力工数が圧縮できる。AIで「営業パーソンの判断」を代替するのではなく、「営業パーソンの事務作業」を削るのが、現状の勝ち筋だ。
Q6. 営業プロセスを見直すべきタイミングのサインは?
3つのサインがあれば見直し時期。(1)商談期間が前年同期比で2割以上長くなった、(2)部門間で「相手のせい」という言葉が会議で出始めた、(3)新規受注の月次変動係数(標準偏差/平均)が0.3を超えた。これらは分業の縦割りが進みすぎているサインで、放置すると半年以内に数字が崩れる。
まとめ
SaaSの営業プロセスは「分業の精緻化」ではなく「フェーズに合った形を選ぶ判断力」で勝負が決まる。The Modelは武器だが、誰にでも効く魔法ではない。PMF前は分業しない、拡大期は軽量分業、マルチプロダクト期にThe Model本格運用――この順序を守るだけで、多くの事業者が今より2〜3割効率的に伸ばせるはずだ。自社のARRと組織サイズを見て、いまの分業段数が適正かを今夜のうちに棚卸ししてほしい。それが、2026年の市場拡大に乗るための最初の一歩になる。市場が伸びる局面で「自社だけ伸びない」事業者の多くは、戦略ではなく組織設計でつまずいている。営業プロセスは戦略の実装装置だ。組織が変われば、数字も必ず動く。
参考資料
■ 公的機関・法令
※3 経済産業省「DXレポート」関連資料https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/dx/dx.html
※4 総務省「情報通信白書 令和7年版(クラウドサービス利用動向)」https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/
■ 業界情報・民間調査
※1 富士経済「ソフトウェア(パッケージ/SaaS)の国内市場を調査」https://www.fuji-keizai.co.jp/press/detail.html?cid=19088&view_type=2&la=ja&la=en
※2 パーソル総合研究所「The Model(ザ・モデル)だけでは、なぜうまくいかないのか?」https://rc.persol-group.co.jp/column/solution-column/202403151000/
※5 富士キメラ総研「ソフトウェアビジネス新市場 2024年版」https://www.fcr.co.jp/pr/24076.htm





